夏 草 や 兵 ども が 夢 の 跡。 “夏草や 兵どもが 夢の跡”。芭蕉の足跡をたずねて、新緑まぶしい世界遺産・平泉へ(force-g.caサプリ 2015年05月12日)

私もおもしろいお話しができる魅力的な人になりたいです。

侍り=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連用形、丁寧語。

解説 高館 ~ 義経終焉の地 JRの平泉駅で降りて、線路に沿って盛岡方面へ歩いていきます。 それから500年が経ち、芭蕉がこの高館があったとされる場所にのぼって下をながめると、ただどこまでも夏草が生い茂っていました。 夏草や 兵どもが 夢の跡 (読み方:なつくさや つわものどもが ゆめのあと) この句の作者は 「松尾芭蕉(まつお ばしょう)」です。 続いて芭蕉は中尊寺を訪れ、美しい金色堂を参詣し、以下の句を残しました。 昔のことはひと時の夢となってしまったなあ」 句中の「兵ども」とは、源義経やその家来、平泉で栄華を誇った藤原氏一族を指します。 加右衛門に対する感謝の吟。 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと) 高館(たかだち)にのぼってあたりを見渡すと、藤原氏の栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が茂る風景が広がるばかり。
「秀衡があとは田野になりて金鶏山のみ形をのこす」 奥州藤原氏とは? 奥州藤原氏は、もと清原氏といいました 架空の人物
中尊寺につづく長い参道の入り口が左に見えてきます 中尊寺の月見坂 金鶏山を左に見ながら 国道沿いに進んでいくと、 すぐに中尊寺です
作者「松尾芭蕉」の生涯を簡単にご紹介! (松尾芭蕉 出典:Wikipedia) 松尾芭蕉( 1644~ 1694年)は伊賀国(現在の三重県)に生まれました 松尾芭蕉のそのほかの俳句 (「奥の細道」結びの地 出典:). この十七音を極め、民衆文芸だった俳諧を芸術の域にまで高めたのが、かの有名な俳人「松尾芭蕉」です
山道も多かったであろう道を、初老の男性が歩いたのだとするとよほど元気だったのでしょう まず義経の館のあった高台、【高舘】に登ると、眼下に北上川が一望される
後に藤原清衡が再建した天台宗の寺 接続は体言・連体形 まず(義経が住んでいた)高館に登ると、北上川(が見えるが、この川は)は南部地方から流れている大河である
[ad co-1]. ここは、いわゆる 「衣川の戦い」のことを言っています 嫡男泰衡の居城跡は、衣が関を境として平泉と南部地方を分かち、蝦夷の攻撃を防いでいたのだと見える
いわば「宴のあと」と同じような意味合いですね 死んだ者はもう生き返らないというのに…」 そこで清衡は前九年合戦・後三年合戦で 討たれた人たちの霊をなぐさめるため、 平泉に広大な寺院を築きます
金色堂中央の須弥壇には、 奥州藤原氏三代、清衡、基衡、秀衡のミイラと、 四代目泰衡の御首級(頭蓋骨)がおさめられています 宮沢賢治ゆかりの川として有名
芭蕉は、たとえ夢のように儚い世でも、 精一杯生きようとする人々の美しさを描いています もとは奥州の豪族安倍頼時の居城があった
見えるのは、ただ夏草が青々と生い茂っている風景だけです 覆堂という建物の中にある