五木 の 子守 唄 歌詞。 五木の子守唄は子守唄ではない!?五木村の守り子唄の悲しいルーツ話

守りといわれて 腹がたつよでは 守りは守りでも ゲスの守り• 親は薩摩に 子は島原に 桜花かよ ちりぢりに• おどま親なし 七つん歳で 人の守り子で 苦労する• おどまかんじん かんじん おんしたちゃ よかし よかしゃ よか帯 よかきもん• 五木の子守唄と発生の由来や歌詞などがよく似ており、こちらの方が最初に発生したという説もある。

山の谷間で なく鹿さえも 親が恋しと いうてござる• 歌詞の不自然さについて 現在よく歌われる『竹田の子守唄』の歌詞には、編曲時に歌詞が大きく変更されたせいか、不自然な点がいくつか見られる。

この他にも歌詞はもっとあったのかも知れませんが、次第に忘れられてしまったものも多いことでしょう。その意味でも、当時(人吉高校五木分校の教頭先生の話では平成4年以前らしい)、人吉高校五木分校の生徒たちが行った聞き取り調査の意義は大きいものと思います。

おどんば おごれば かるとる子が 泣くで 泣けばおどんも 泣こごたる• 伝承者によって似たようなものもあれば、ひらがな漢字などを含め、記述した人によっても微妙に違いもあります。

「五木の子守唄」は守り子達が即興的に唄っていったもので、どれが1番で、どれが2番だという順番もなく、どれが元唄かも解っていません。

1953年にの日本調歌手が吹き込み大ヒットさせたことで、一般的に知られることとなった。

山でこわいのは イゲばら 木ばら 里でこわいのは りの口• 村内の新しい橋の欄干のレリーフです• 五木の子守唄 様々な歌詞が現代まで伝わっており どれが1番で、どれが2番だという順番もなければ 人や地方により歌詞や言葉も違い 即興的に歌われだしたものだと言われています。

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新たに、 川辺川ダム計画が始まり 五木村は、 いつの日か、村の中心部がダムの底に沈む事になってしまいました。

おどんがちんかときゃ 鐘うちせきった いきはほんとなって 一のむすぶ• わしがおるじゅは ほうびゃぁたのむ わしがでたあていうてたもれ• その後、これら武士の子孫を中心として「三十三人衆」と呼ばれる層が形成され、「かんじん」と呼ばれた(名子小作)たちは田畑はもちろん、家屋敷からに至るまで旦那衆から借り受けて生計を立てなくてはならなかった。

五木の子守唄は、 子守娘の気持ちを唄った、守り子唄のひとつです。

五木の子守唄の真相 こうした 悲しい諦めや小さな抵抗が唄となり 仕事の辛さや望郷の思いを即興的に歌うことによって、 わずかな慰め(なぐさめ)を見出していたようです。

村などがそれらの唄の採集に力を入れており、外部リンクの「五木の子守唄の歌詞いろいろその2」はの高校生たちが聞き取り調査を行ったものである。

歌詞には様々なバリエーションが存在し、伝承者によって多様な歌詞が伝えられている。

宮城まり子さん『五木の子守唄』の歌詞 イツキノコモリウタ words by クマモトミンヨウ music by クマモトミンヨウ Performed by ミヤギマリコ. 一家を養うためには、 幼い子どもすら稼ぎに出された時代、 五木村に限ってではありませんが 7、8歳~10歳前後の子どもにとって 毎日の生活は、 きつく、辛く、悲しく身を裂かれる想像を絶する中 どんな思いで故郷を見つめていたのでしょう。